前回、ポルシェのエンブレムの意味や、自動車メーカーのエンブレムの由来や意味をざっくりと紹介させていただきました。
しかし、まだまだエンブレムの由来や意味には面白いお話があります。
今回紹介するのがポルシェとフェラーリのエンブレムについて


世界で最も有名なエンブレムと言っても過言ではないポルシェとフェラーリのエンブレム。
どちらのエンブレムにも非常によく似た「馬」がデザインされていることがわかりますよね。
実はこのエンブレムには密接な関係があるのをご存知ですか!?
今回はそんな隠された2つのエンブレムについてご紹介したいと思います。
ポルシェのエンブレムはシュトゥットガルト市の紋章が由来

ポルシェのエンブレムは、フェルディナンド・ポルシェ氏がドイツのシュトゥットガルト市とバーデンビュルテンブルグ州の紋章と
ドイツの国旗カラーを組み合わせて作成しました。
ポルシェのエンブレムについてはこちらで詳しく紹介しています。
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フェラーリのエンブレムもシュトゥットガルト市の紋章が由来?
実はフェラーリのエンブレムもシュトゥットガルト市の紋章をエンブレムに使用しています。
でも、どうしてイタリアに本拠地を置くフェラーリが、ドイツのシュトゥットガルト市の紋章を使用したのか疑問に思いませんか?
そのエピソードは、1914年の第一次世界大戦まで遡ります。
フランチェスコ・バラッカという伝説のパイロット
フェラーリのエンブレムの跳ね馬は、第一次世界大戦中、国民的英雄だったイタリアのパイロットである、フランチェスコ・バラッカが自分の戦闘機につけていたマークが由来とされています。

引用元:https://mustangsakura3.jimdofree.com/
当時は敵機のマークを自分の機体に貼り付けるという文化がありました。
バラッカは1918年に戦死しましたが、彼の両親がフェラーリ社にシンボルであった跳ね馬のエンブレムを授けました。
そのマークが実が
もうお気づきと思いますが、第一次世界大戦当時、イタリアの宿敵であったドイツ空軍との戦闘で、バラッカがドイツ機を撃墜した証として自身の戦闘機に宿敵のマークを貼り付けていました。
その敵軍こそがドイツのシュトゥットガルト市だったという訳なんですね。
最後に
ポルシェとフェラーリが同じシンボルを使用していたのは、このような深い歴史と過酷な時代が背景にありました。普段生活していて、何気なく見ているものの由来や背景を遡ると、意外な事実が発見されるかもしれませんね。
よろしくお願いします!
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